確かにその通りなんですが、アシモフの『われはロボット』なんかは出版された時に「古典」的と評された様に、SF市場で消化(or 昇華)されたモノってあると思うのですよ。それが、前述の堀晃だし、星新一だし、百億千億だし。
それって、「古典」とちゃうかな?と思う次第です。んー、ちょっと曖昧ですが。
ま、それはともかく、SFMを買う金があるのなら呑みに行っちゃうのは、同意。つか、今日は久しぶりに呑めるんだ!!!