酒と食遍歴(というか半生通り越して人生?)

在華坊さん*1書いてたので書いてみる。そんな日に池尻大橋某所で猪鍋だったりする訳だが。

幼少期

全く記憶にないのだけど、炬燵机に座った爺さんの胡座の股が私の定位置だったらしく、爺さんがナッツ類をつまみながら晩酌してる時に、それらをインターセプトしてた話を爺さんの法事とかでよく耳にした。
ちなみに爺さんは私が保育園の年長の12月に死んでるから、幾つの時だよ!と思わなくもない。

小学生時代

実家が食品の製造卸をしていたというのもあり、長期の休みとかになると手伝いというかよくわからんが、スーパーや大規模な食堂から料亭、一品料理屋等々色んな所に連れ回された。
で、小さいのにお手伝い偉いねぇと色んな所で色んな物を食わせて貰ううちに、味覚が急成長。こいつが黙って全部食う試作品は売れるという評判が流れて、長期休暇じゃなくても日曜日は朝から親父と納品に連れ回されるという状態に。
この頃、うどん屋で大量の干し椎茸の戻し汁の臭いで今でも続く私のキノコ嫌いのトラウマ形成。
これもあとからというか、親父の葬式や法事で耳にしたけど、跡継ぎにと考えての育成だったらしい。聞いてない。

中学時代

野球小僧時代。朝晩に豆腐一丁食ってた。米より豆腐だった。かつお節+ネギ+生姜。醤油も塩も使わない。

高校時代

居酒屋の娘が同級生(というか子供の頃からの知ってた)でダメな感じに友人達とたむろってたけど、実家の卸先というそりゃバレるわ。でも、結局卒業まではそこで店が開店までたむろってたなぁ。

大学(宇都宮時代)

下宿生活だったけど、歴代そこの住人たちで回している歩いて一分の料亭のバイトがあり、私も参加。
バイトの中で一番味覚がしっかりしてて手先が器用という事で、一人板さんが独立したのをキッカケに一ヶ月ちょいで下働きをショートカットして調理に回されるという事態に。(シラフだとコミュ障で接客が壊滅的だったというのもあるかも知れないが。)
ここで二年ちょいだけど、自己流だった料理を改めて基本を叩き込まれたのが料理に関しては無茶苦茶大きい。
当時、上善如水が水になる前の旨い感じの奴で、日本酒って旨いんだなぁというとの、翌年の水になってしまったのが強烈に印象に残っている。
同時にバーのバックヤードで料理も担当したりと、バイトに明け暮れてた。
宇都宮という事でバーの街なので、色々と飲ませて貰ったが、一時期禁止になる前のアブサンを始めリキュール類とジンとウォッカばかり飲んでいた。
飲んでる時のイタズラの数々*2は大体この頃にやった事。

実家

親父が倒れてまともなレシピも残さずに死んでしまい、大学中退して二年半家業。一日18時間労働364日稼働という超絶ブラック。まともに酒飲んでなかった。

大学(千葉)定位置

二年半ぐらいで、ほぼ喧嘩別れというか取引先には行方不明扱いという状態で実家から飛び出してしまう。
(マジで帰れなくなる)
二部学生だったけど、まだ職が決まらなくて、プラプラしてる感じで、写真部とSF研に入る。
そこで、写真部が歴代よく使っていた通称「定位置」(本当の名称はnet非公開)と出会う。名前を出すと色んなお偉いさんに迷惑が掛かるというのもある。まあ、検索して引っ掛かることは無いんだけど。
そこで泡盛と出会う。昔は43度の一升瓶が一週間で無くなるペースで通い詰めた。19年通っているし飲んでいるけど、飽きない。昔は週6日営業なのに7回行くとかよくわからないぐらい行ってた*3。今は土日営業のみになりゆるゆると飲んでる。
ここに通い始めてから就職して、お祝いにその店の開店時から未開封であるよなぐにのクバ巻き60度を開栓してもらう。年上のお酒初体験。現時点で一番旨かった酒がそれ。そこから60度をカパカパ飲むように。他の客も巻き込れるように飲むようになって面白い。
今では平均年齢も70ぐらいになって、新しいお客さん断っているのに年々一歳は上がらなくなる(誰か亡くなる)状態で、何時まで経っても若手な感じだけど、飲み屋のマナーというか粋な使い方とかそういった知恵とか知識は、ほぼここの常連さんとお母さんに教わったと言っても過言ではない。
SF研の方で飲める人間をこちらで飲むというのが続いた。今でも後輩達が来たらここで迎え撃つのがお約束。こちらが撃墜されることも多々ある。
その後輩の一人が弟子一号。知る限り最強の酒飲み。強過ぎて地元で酔うほど一緒に飲める相手が居ないという問題もあるらしい。
今でも続いてオッサン通り越してジジイ共に良くしてもらったし、良くしてもらっている。旨いモノを食いに連れて行ってもらったり皇居を見下ろす場所で飲んだり、後述のマリアッチや池尻大橋某所に若いの連れてったら財布扱いしてやったり。
だからといって、娘婿が酒飲まないとかの愚痴を私に延々と言うなよ。知らんわ。

就職

職場の近くでは飲まないようにはしているのだけど、二人の方には影響を受けた。詳細は非公開。

武蔵(と西の宮酒店)

学生と社会人の二重生活も終わった頃かな。はてなの面子で飲み始めて、何だかんだで一番よく使っていたのは武蔵だろう。
16人しか入らない二階に24人入れた忘年会とか無茶苦茶な事もしました*4改 めてblogを武蔵で検索したらどんだけ行ってたんだよと思わなくもないですが、皆さんの悪行も出てくるので注意。サシのみで相談とか苦情とかよくされてた気がする……。それは残していないのは良心があったと思いたい。
皆で使ったのも多いけど、一人でふらりと行ったら武蔵に酒を卸している酒屋さんと仲良くなって、色んな蔵の日本酒の会をやった。今では考えられないけど、あんな小さな場所で獺祭の会やって桜井社長と息子の両方に説明させるとか贅沢だわ……。*5
昼間にその酒屋さんから突然メールがきて「今日暇?」と行ってみると、酒蔵の方を目の前にして試作品の試飲も何回かあった。今では色んな居酒屋にあるようなとある梅酒のバージョン違いとか、純米推すのか純吟推すのかどうするかとか。米違い、醸造温度違い、水違いとかの試作品とか面白かったなぁ。
酒蔵見学もあった。青木酒造で雪男の原酒で大酔っ払いしたのもいい思い出ですな。越淡麗の10年古酒まであと少し。楽しみでしょうがない。(当時東京の営業の阿部ちゃんがエラくなってるらしい。)
来福もまだ東大に花酵母研究会があった時代の見学で、一番磨いても10%で一桁行ってない。今じゃ花酵母研究会は東京農大主導だし、一番磨いて今何%なんだろ。時代は移り変わるね。
創作和風という事で色んな料理の技があって、飯も旨かった。未だに思い出す、唐揚げと菜の花ピサ。
デミグラスソースのカウンターに八丁味噌を、八丁味噌のカウンターにデミグラスソースを使うというのを知ったのはこの店。そういったスパイスやカウンターの使い方を洋の東西を問わずに使うやり方を理解するキッカケになった。
リーマン・ショックが原因で入っているビルのオーナーが飛んで、中野に移転して3.11の影響で人が動かずに閉店という感じの終わり方だった。
通った店が潰れるのは始めての経験でスゴくショックだった。
バイトのケンちゃんの実家がクリーニング店で特定年齢以上にクリティカルヒットするというオイシイネタもあった。今、何してるんだろ……。

池尻大橋某所

知る人ぞ知る日本酒の聖地。調べれば出てくるけど、一応店名非公開。一見さんお断り。店名を書いた奴は連れて行かない。
ここは武蔵に酒を卸している酒屋さんに『晩酌レシピ』*6という料理本を紹介されて、買った翌日には店にいた。検索したら、2007/5/27に本を入手して、2007/5/28に行ってた。
今では限られた電話番号からのみ予約が出来るだけなのに、半年先まで予約が埋まっているという状態ですが、当時はまだ緩くて年に30回ぐらい通い詰めて、年間200種類ぐらい飲むのを数年やってれば流石に色々と覚えますよ。
色んな酒蔵の方々とも知り合いになり、色んな人を巻き込んで色々とやらかした。50人貸切鶏鍋とか。二回もやるハメになるとは思わなかったが。
今では予約も中々とれないので、月一ぐらいのペースでゆるゆると若い人優先で連れて教えるのが目的な感じですね。
やたらと行っている時に、店からhonobonが弟子扱いされて、最近よく連れて行ってる大学院生が弟子二号と呼ばれているが、私の中では二号と三号だ。
もし行きたい方いるなら、Twitterとかで募集してる時に。(鍵垢だから、ツテを辿ってたどり着いて下さい)
ただ、聖地扱いされてますが、基本的にプレミアな酒はごく一部です。種類の多さと状態の良さ、提供温度等々の細やかさ。そこに料理を合わせての聖地です。それを理解出来ないと勿体ない。それなら若いの連れて教育した方がいいわ。(隠し玉はあるけどね。)

だれやめ

指差してアタマオカシイといえるぐらいの焼酎キチガイなお店。炬燵で飲むお家感覚が良かったね。惜しいところを無くした。

SolMariachi

千葉中央にあるメキシカンバー。映画館の裏手にあるので、金曜にレイトショー観てから、飯代わりに飲んで帰るというのから始まって、七年ぐらいほぼ毎週行ってる。
オールコーンの焼き立てトルティーヤを出す国内では数少ない店でもある。流行りのテクスメクススタイルとは全然違うので、興味がある人は一度試して欲しいけど、金曜土曜は混んでるから要注意。
ここも七年くらい通ってるから、店にあるテキーラは全制覇してるので、まあダラダラと飲んでる。常連に同い年(プラマイ1)が妙に多くて、違う会社で立場も全く違う状態で、バカ話したり真面目な話をしたり絶妙な居心地の良さ。
同時にバイトが千葉大生というのもあり、学生も居たりして仲良くなった奴にお酒を教える遊びをしたりしてる。
ただ千葉のバーなので、何事もなくテキーラが回ってくる事がある。(まだ断れる店なので大丈夫といえば大丈夫)

太陽と月

本千葉にあるバー。マリアッチで紹介されて通うようになった。もうすぐ五周年だけど、私は四年ぐらい。
当初はまあヒドイ感じ(でも、聞く耳を持つ若い奴なら、ヒドイのはヒドイなりに楽しい)だったが、色々と助言をして変わっていって今はそれなりに楽しくおいしい感じに。何処でも使っているBOLTをエギュベルに変えたりしたのが一番の変化点かも知れない。そこから、自分が旨いと思う酒を入れる様になり個性が明確化されてきたかな?
バーボンのオールドボトルとか異様に充実したり、冬には静岡おでんとか。日本酒は年中一種類か二種類ぐらいある。ヨーグルティアで低温調理してお通しとか。誰の入れ知恵かバレバレ。
バーなのにスナックみたいな椅子で全10席の店内に客が四人いて四人寝てる風景がよくある。寝る人の多い店で店も許してる。
ここは激しく年齢層の広い店なので、人が多い時は刺激に溢れているのも楽しい。店主の母親のスナックが階下にあるので、その客も来るし、その母親も来る。店主が28だから若い客も多い。基本暇だけど。
通称全テキ、全員分テキーラは誰かの誕生日以外にはあまりないけど、何かの拍子に店主がワニワニパニックをギコギコやり始めたら注意。引きたくても引けないから続けると、誰かに当たって潰れていくという巻き込みタイプ地獄絵図が厄介。(ギコギコ音がフレディが配管をなぞっている感じに)
千葉スタイルというテキーラの飲み方がある。チェイサーをレモンからオレンジやミカンにするだけなのだが、これが飲みやすくて危ない。
知らないうちに朝になってる事が多々ある。だから千葉で飲んで終電の心配は無いよ、始発まで飲めるから。

日本酒Bar アル

店主本人は二年ぐらい前から知ってて、日本酒の知識と仕入れルートのスゴさは抜群。その彼が10/1から新しく自分の店をオープン。基本三勺提供で高い酒を少しずつ楽しめるスタイルなので、安くて楽しい。古酒も多くて最高ですわ。
ただ、駅から遠いので、色んな人に紹介してる。無くなると困るから。

その他

ざっくり書くとこのぐらいだけど、あとは神田の『もつ焼き元希』『釣楽 岩倉』、池袋の『立ち呑みげんき』、中野の『Bar Goat』かなぁ。
千葉だと『イナノテ』『れん月』『パントリーコヨーテ』『きぃ〜あ〜い』『もてなしや』『炎屋』かな。
一回しか行ってないけど、津田沼の『サンフェイス』はスゴい。江刺さん今年のドンズ・オブ・テキーラ*7だし。クラクラするほどのスピリッツ類と量。アタマオカシイとかキチガイという次元を越えてて、ちょっと認識出来ないレベル。自宅近くにあったら肝臓と財布が対消滅する。
で、ここまで書いて自分で発掘した店はマリアッチだけ。あとは全部人づてに教えてもらった店ばかりですね。基本決まった所で紹介された店には行ってみるというアナログな人間ですね。
ワインは年に二回一回り上の方々の持ち寄り回に面白い日本酒持ってこいと言う事で参加させてもらったりして、普通の飲み屋よりスゴいワインばかりだから外で飲めなくなってきた。
基本的になんでも飲む様になってしまったが、やはりどれを飲んでも飲み過ぎれば同じ。そこに好みがあるだけ。それでいい。値段とかラベルとかも関係ない。楽しく飲める空間があってのお酒。自宅で一人飲みを否定はしないけど、人が居てのお酒だなぁ。

*1:http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20151111/1447218158

*2:酔い潰れた先輩の身体中耳なし芳一状態にしたり、酔っ払いを布団に縫い付けたり

*3:土曜開店直後に行ったら、常連のオッサンに拉致られて他の店でタダ酒飲んで、閉店間際に戻って飲み直すという事が数回

*4:cf.http://liquor.g.hatena.ne.jp/kennak/20071215/1193634588

*5:ただ桜井社長の横に座って飲むと潰されるし、あのオッサンにこやかな顔つきなのに目が笑ってない。ちょっと苦手。色んな意味で早く代替わりしてほしい。

*6:晩酌レシピ―飲み屋の「お母さん」が作る、体にやさしいおそうざい (ORANGE PAGE BOOKS)

*7: 日本代表の江刺 幸治さんが世界総合優勝 | BAR TIMES