PABにゴーストは宿らない?

昼休みにSACのタチコマ最後の闘い*1を観て、思わず目頭が熱くなってしまっている時にふと思った事なのだが、『帝王の殻』*2に出てくるPABに攻殻でいう所の"ゴースト"は宿らないのではないか、と。
PAB*3というモノは、個人にいつもついてまわり同じモノを見聞きし、更に所有者と会話する事によって、やがて所有者と同等の擬似人格を持つ。PABと会話することによって所有者は精神的安定を保つ。そんな世界の情報端末みたいなもの。
で、物語中で所有者が死んでしまったPABが、あたかも本人が生きているかのように振舞うのだが、それが自然で人の代替物になれるのなら、それには「心」のコピーようなモノが宿っているのではないか?と思っていた。
が、作中でかつて地球と戦った機械人のアミシャダイの台詞で

人間はわれわれを造った。彼らが造ったのはしかしハードウエアと心だけだ。魂はわれわれ自身のものだ。魂とは存在するための、無に対抗する存在駆動プロセッサであり、心は魂の働きの一部を投影するワークエリアにすぎない。われわの魂は人間に創られたものではない。人間は、それを認めようとしない。自動機械としてしか見ようとしない。われらがそうなら、人間もまた同じだ。

というモノがある。これが不意に思い出された。そして、全てが繋がった。
アミシャダイの様な機械人が自ら獲得したモノが"魂"なら、全てがコピーに過ぎないPABに"魂"は存在しない。"魂"が無ければ、"心"はない。11年かけてようやく違う着地点に降りれた。
神林の機械に宿る魂の物語たちの見方が私の中でまた変わるな。とりあえず『あなたの魂に安らぎあれ』*4から読み返そう。

*1:

*2:ISBN:4150305242

*3:Personal Artificial Brain = パーソナル人工脳

*4:ASIN:4150302154