文章映像変換エンジン?

私はほぼリアルタイムに文章が映像に変換される方だと思うが、それも作品によるのではないだろうか?確かにライトノベル的なモノは比較的脳内で映像化されやすいと思うが、一歩外れると映像化が殆ど意味をなさなくなるモノも多々あるのではないかな?
例えば、神林の『火星三部作』*1『永久帰還装置』*2『言壷』*3等は、脳内で映像化しても全く無意味と思われる部分が多くを占める。文字そのものをテーマにしている所があるからね。同じ作家でも『戦闘妖精・雪風』*4『敵は海賊・猫たちの饗宴』は比較的視覚的な部分が多い。つまり脳内で映像化すると更に面白い。
という事で、扱っているテーマや状況によって一概には言えないんじゃないかな。どちらが良いとは言えないんじゃないかな。
映像化出来るモノでも『され竜』の呪文描写等は、似非化学反応を脳内でアニメ的表現なエミュレート出来るかどうかでも違ってくるだろうし、『終わりのクロニクル』の3(下)の「18連重力式レールガン」が左右に弾を撒き散らしている時の情景/動きが脳裏に浮かべばそれこそ「勝ち」だろう(何が?)
『グイソ』でナリ介やグイソが出てきたら慣用表現を読まずに脳内でそれぞれ「儚げな美男子」「豹頭の狂戦士」というタグが思い浮かぶだろう*5。『戯言シリーズ』でいーちゃんの戯言を視覚化って、言葉にしていなくて想っている事をそのまま文字で入力するだろう。ぶつくさ呟いているいーちゃんを想像するか?
全く逆に、絵を描いている時は頭の中でストーリー性を追っている場合が多いし、現代美術を始め多くの絵画や立体造型を観ているときにも、その中に潜む「文学性」を追う場合がある*6
そういえば昔何かのあとがきで菊地秀行か誰かが、映像と文字の関係を書いていたような憶えがあるのだが、どういう趣旨だったのか思い出せない。
なんか言ってる事がいろんな方向に飛びすぎだ。

*1:『あなたの魂に安らぎあれ』ISBN:4150302154,『帝王の殻』ISBN:4150305242,『膚の下』ISBN:4152085614

*2:ISBN:4257769904

*3:ISBN:4122035945

*4:ISBN:4150306923,ISBN:4150306834

*5:つか、イチイチまどろっこしい表現を脳内で再生するのは、CPUパワーの無駄

*6:google:ムンク 思春期を見て、これがどういう状況なのか考えてみるという事を赤瀬川原平が書いていたような記憶がある。自分で考えてから調べてみると面白い。